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《東北教区お寺の掲示板 法語ポスター》

 

 
 
 

死んだあとも 深く関わった 多くの人々の中に
 受けとめられながら その人の存在は 生きていくのです

宮城 顗
 

 
 
 

《東北教区お寺の掲示板 法語ポスター》

 

 
 
 

死んだあとも
深く関わった
多くの人々の中に
受けとめられながら
その人の存在は
生きていくのです

宮城 顗  
 

 
 
 

以前、落語家の五代目・三遊亭圓楽さんが亡くなられた時、弟子の楽太郎(六代目圓楽)さんがこんなことをおっしゃっていた。

「人間には寿命が二つあると思います。一つは命が尽きる時。しかしもう一つ、『思い出寿命』というものがあるのではないか」と。

その人が亡くなっても、その人の存在は残された人々の中で、思い出として生き続けているのだ、と。だからたとえその人が亡くなっても、その人の存在そのものは決して消えてなくなってしまうというわけではない。おそらくそういう意味で六代目圓楽さんは『思い出寿命』ということばを発しておられたのだろう。

先日、ある方のご葬儀をおつとめしたが、親類縁者、友人の方たちがたくさん参列し、さらに葬儀までの間、家族をはじめとして、親類の方々が率先して協力し、みんなで故人を送ってあげようという気持ちが伝わってくる、心のこもった葬儀であった。
 
それは家族、そしてご親類の方々の、個人に対する並々ならぬ深い思いが
あったからであろうし、それだけ亡き人が多くの人々の中で深く受けとめられているということなのだろう。亡き人の思いや願いがしっかりと受け継がれているということなのだ。
 
身近な人、大切な人の死は本当に辛く、悲しい現実ではあるが、その人の存在は私たちの心の中で、より深く受けとめられ、より強く私たちを突き動かしながら、私たちの上に生き続けるのだろう。