《東北教区お寺の掲示板 法語ポスター》
君の立場になれば
君が正しい
僕の立場になれば
僕が正しい
ボブ・ディラン
《東北教区お寺の掲示板 法語ポスター》
君の立場になれば
君が正しい
僕の立場になれば
僕が正しい
ボブ・ディラン
このことばは、ボブ・ディランの「One Too Many Mornings (いつもの朝に)」という曲の歌詞の一節で、英語の原詩は「You're right from your side I'm right from mine」という歌詞である。
おおよそ意見が対立する時には、お互いに「自分が正しい」と思っているものである。つまり、正しいか正しくないかということは、それぞれの立場によって変化するものであり、絶対的にどちらが正しいということは、客観的にみれば判断し難いものだろう。自分の立場に立っていればこそ「絶対に自分が正しい」と思うのであって、それが決して普遍的な絶対性をもっているわけではないということだ。しかし、私たちはそれをあたかも普遍的な正義として、自分の正当性を主張している。たとえそれがどれほど独断に満ちたものであったとしても。
よくよく考えてみれば、立場が違うのだから意見が異なるのは当然であるし、そういう他人に対して自分の立場の意見だけを無理やり押し付けることもまた不当なことである。ボブ・ディランがこのことばで知ってほしかったのは、はじめから立場の違いを認め、そして自分とは違う立場の意見も一旦聞き入れてみる、そういう視点を私たちは持たなければならないということではなかったか。つまり、どちらが正しいかということよりも、まずは相手を理解しようとすること、相手を尊重することが大事なことなのだと。こうした視点を持たなければ世間はますます争い事ばかりになってしまうだろう。
ちがい
真宗大谷派が、大きな法要の際に「バラバラでいっしょー差異(ちがい)をみとめる世界の発見一」というテーマを掲げた。このテーマで願われていることは、このボブ・ディランのことばと通底していると私は思う。宗教や国や時代が違っても、人間における課題は、いつも共通しているのだろう。